静岡で生まれたわさび栽培の歴史
わさびは、『播磨国風土記』(713~716年)の記述にあるように、古くから日本各地に自生していたと考えられる。今日わさびが栽培されるようになったのは、現在から400年以上前の慶長年間(1596〜1615年)、安倍川上流の標高700mに位置する有東木で、村民が山葵山に自生しているわさびを採取して湧水の出る場所(井戸頭)に移植し、好結果を得たところから始まった。1607年駿府城で晩年をおくっていた徳川家康は、献上されたわさびを気に入り、有東木から門外不出の御法度品としたが、1744年同地でしいたけ栽培を指導した板垣勘四郎が御礼として贈られたわさび苗を伊豆市天城湯ヶ島(以下、天城湯ヶ島)に持ち込み、それ以降、同様の自然条件を持つ伊豆半島の市町や富士山麓周辺地域などに栽培が広がった。また、静岡市内の旧家に残されている古文書には、江戸時代、朝鮮通信使の食材としてわさびが提供されたという記述もある。明治25年頃には、中伊豆の生産者により畳石式わさび田が開発され、高い収益性と安定した生産が可能となり、現代に至る山間地域における林業や茶業、しいたけ栽培と並ぶ貴重な産業となり、住民の定住に大きく寄与した。その後、畳石式わさび栽培は、地域の実情に合わせた改良がなされ、御殿場市等北駿地区では、砂利や石の代わりに富士山の噴火によりできたスコリアを利用した北駿式に改良され、現在まで受け継がれている。
わさびの祖 板垣勘四郎の碑(浄蓮の滝)